皆さんこんにちは。
暑さにも慣れたのか、和らいだのか、過ごしやすくなってきました。少し寂しさもありますが、お一人暮らしの高齢の方を思うと一安心な季節に入りますね。
ブログは時間のある時にお目通しいただけますと幸いです。
2026年はW杯の開催年でした。時刻真逆の開催時間にも関わらず日本は盛り上がっていたように見えました。かつて飲食時代には放送するお店に人がなだれ込み、喜びを分かち合う姿に心躍っていたことを思い出します。
皆さんは奇跡と行動を理屈付けできますか?
2026年W杯の有名な話、
【リオネル・メッシ、ラミン・ヤマルとの「19年ぶりの運命の再会」】
舞台はW杯決勝の場、アルゼンチン対スペイン戦で実現しました。
次の再会確率も驚異的ですが、ジュニア選手、アカデミーの少年や関わりのあった子供がプロサッカー選手になり、さらに国の代表メンバーに選出されてワールドカップに出場する確率は数万〜数十万分の1といわれています。エリート街道を歩んでいても一握りの確立なのですね。
しかしヤマル選手がメッシ選手と出会ったきっかけは、当時20歳だったメッシが、国連児童基金(ユニセフ)と地元新聞社のチャリティーカレンダー企画の一環で、当時生後5か月の赤ちゃんだったヤマルをプラスチック製の小さなバスタブで沐浴させる撮影で出会いました。
両親のバックグラウンドはモロッコ人の父(ムニール・ナスラウイ)と赤道ギニア出身の母(シェイラ・エバナ)のもとに生まれ、:出生時に両親が経済的困窮にあった際、家賃を払うなどして生活を支えてくれた近所の親しい友人2人(ラミーヌさんとヤマルさん)の名前から、敬意を込めて名付けられましたと言われています。
ロカフォンダ地区というバルセロナ近郊のマタロにある、移民や労働者階級が多く暮らす地区で育ちました。3歳の頃に両親が離婚し、母が働くグラノレースと父が残るマタロを行き来する生活を送りました。多忙な母を夜遅くに待つ多忙な日々の中でも、幼少の彼にはサッカーが常に身近にありました。
ドリブルの原点は狭いストリートや犬を相手にボールを蹴って遊ぶ中で、相手をかわす抜群の感覚を自然と身につけたといわれています。
幼少期から貧しかった家庭環境下でも彼にはサッカーがあった動機はどう説明できましょうか?
こう推察します。
チャリティーでの撮影写真は彼、彼の両親の生活の近くに常にあったのだと思います。そしてご両親からこう言われていた、
「あなたは神(メッシ)に抱かれた子」
「あなたとメッシには接点がある」
「あなたに不可能はない、やれば出来る」
教育において、裕福、貧困も大きな要因となりますが、「自己肯定感」「成功体験」という育成環境に関わる重要な要素を彼は得ていたのだと考えます。
ボール一つと彼への教養が5年間でとてつもない行動量と体験を積むこととなる。そして秀でた運動能力と才能の芽は必ず誰かの目に留まる。
ラ・マシアでの躍進、6歳でFCバルセロナのスカウトに認められ、名門育成組織「ラ・マシア」に加入。圧倒的な才能を発揮し、クラブ史上最年少でのトップチームデビューを果たしました。
「メッシとヤマルが最終的にワールドカップで再会する」確率
2026年にスペインの数学者John Aletarn氏が、この一連の偶然を確率として試算しています。その数字が、約625兆分の1(1/625,000,000,000,000)と試算されています。しかし彼はこの数字を自己肯定感と5年間の行動により100万分の1(1/1,000,000)以下に縮めた結果となります。
丸の数が8桁も違うことに驚きです。それほどまでに経験、体験、自己肯定感や環境により人の人生は大きく変わるということが言えると思います。
彼は名実とともに世界のトッププレイヤーになっただけでは終わらない。
これからは社会や世界に対しての貢献する時間が始まったように思います。かつてのメッシが幾多のチャリティーイベントに参加したように、サッカーリーグでプロとしてプレイする傍ら、様々なイベントに参加し人たちに夢と希望を与え続けることとなり、貢献につながっていくのだと感じた19年ぶりの二人の再会、抱擁でした。
執筆
株式会社R.E.M.
代表取締役 佐久間史晃
運営事業所
ブルーミングケア三郷高州、ブルーミングケア三郷中央



